留学体験記

大阪国際がんセンター留学記

大森正泰(平成23年卒)

平成23年卒の大森正泰と申します。2017年に大学に帰局し病棟医として1年間勉強させていただいた後、2018年4月からは大阪国際がんセンターで勤務しています。
大阪国際がんセンターは、大阪成人病センターが病院の移転に伴い改名されたもので、システムのほとんどは以前と同様です。同センターには、神崎洋光先生、山崎泰史先生、濱田健太先生とみな現在教室の第一線で活躍されておられる先生方が以前に勤務されており、輝かしい業績を挙げておられます。私も、諸先輩方のお力に少しでもあやかれるよう精進を重ねていく所存です。

私の所属する消化管内科は、早期消化管癌に対する内視鏡治療における日本有数のハイボリュームセンターです。現在、スタッフ8名+レジデント11名の総勢19名が在籍し、市中病院としては大所帯です。部長の石原先生をはじめ、スタッフの先生方は内視鏡技術の革新やその指導のみならず、多くの臨床研究を主導されています。またレジデントは卒後6~13年目の医師が横浜~熊本から集っており、キャリアも文化も幅がありますが、皆で協力し切磋琢磨して臨床・研究をこなしています。私は内視鏡治療も臨床研究も経験が浅いため、初歩から教えて頂いている現状ですが、手本となる多くの方々に囲まれモチベーション高く過ごすことができています。

当科には、多くの外国人医師が見学、研修にこられます。また私自身もスウェーデンで2か月半、内視鏡診療に携わる機会を与えていただきました。乏しい英語力ながら、医療背景の異なる外人医師とディスカッションすることで、思わぬ感覚の違いや日本での日常診療の根拠などを考えさせられ、新鮮です。

また、留学が始まって間もなくして、当院主催で日本内視鏡学会総会が行われました。学会総会の裏方のほかに、総会毎に行われているという親睦会や要人レセプション(今回はUSJで開催)にも裏方役として参加し、高名な方々の普段のお姿を垣間見ることができ貴重な経験となりました。

最後になりましたが、今の恵まれた環境の中で精一杯、日々の研修を勤め上げたいと思っております。このような機会を与えてくださった岡田教授をはじめ、ご指導いただいております諸先生方に厚くお礼申し上げます。今後ともご指導、ご鞭撻のほどどうぞよろしくお願いいたします。



病院の外観です。


新病院は、大阪城の大手門の目の前に位置し、病棟からは大阪城が一望できます。


内視鏡総会時の集合写真です。


外国からの見学医師を招いての親睦会です。不定期で開催されます。

大阪府立成人病センター留学記

山崎泰史(平成19年卒)

私は、2014年4月から大阪府にある大阪府立成人病センターに国内留学しております。
大阪府立成人病センターは関西のがんセンターに相当する施設であり、
私が所属する消化管内科は、内視鏡診断・治療が全国的に(世界的にも)有名な施設になります。
以前に同施設に留学されていた、消化管グループの先輩である神崎洋光先生の後を継いで留学させて頂けることになりました。岡山から大阪は新幹線で約1時間と近く 、以前より消化管グループの先生方が大阪府立成人病センターの先生方と交流があることもあり、温かく迎えて頂いております。

大阪府立成人病センターでの業務は大きく分けて、①内視鏡診療、②臨床研究、の2つになります。
内視鏡診療は世界でもトップクラスと考えられる各臓器の指導医の指導の下、日々研鑽を積んでいます。
海外から数多くの医師が、当施設の内視鏡診断・治療を見学に来ており、海外の医師との交流がより広い視野で医療を考えることにもつながっています。
臨床研究は、日々の診療から生じる疑問・問題点をもとに、よりよい医療を提供するために必要な研究を考えて実施しております。
また、国内の大規模施設と協力して、複数の臨床研究・試験も行っており、エビデンスが作られていく瞬間を目の当たりにし、加わることができます。

こういった機会を得られたことは、岡山大学消化器内科に入局し、消化器内科の先生方とのつながりができたからこそだと思っております。
大学に帰局した際には、大阪府立成人病センターで学んだことをもとに、少しでも大学の診療・研究に貢献したいと思っております。

サンディエゴ留学記

松下 浩志(平成18年 岡山大学卒)

私は、2014年4月からアメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴにあります、 University of California San Diego(UCSD)に留学しております。
サンディエゴは、ロサンゼルスから南に200km弱、アメリカ国境最南西端に位置し、メキシコ国境に接しています。 もともとスペイン領、メキシコ領であったことから、サンディエゴという地名はもとより、町のいたるところでメキシコ文化を感じることができます。 食事もメキシコの影響か、香辛料がややきつく、摂取すると発汗(個人差あり)、翌日の下痢(個人差あり)を伴います。
州内ではロサンゼルスに次いで2番目、全米でも7番目に人口が多い都市で、企業の駐在、UCSDや関連研究所での研究留学などで多くの日本人が在留しています。 日系スーパーも3軒あり、価格は高いものの(日本と比べて1.5倍~2倍程度:一平ちゃん焼きそばが$2-2.5)食材、 日用品などほとんどのものを手に入れることができ、妻と二人の子供にとっても比較的生活しやすい地域だと感じます。
美しい海岸線には、全米から観光客が訪れるビーチシティが点在しており、いつも多くの人で賑わっています。 青い空、白い波、ヤシの木が立ち並び、サーフィンをするひと、ヨットでセーリングする人、ビーチでのんびりする人など、 これぞカリフォルニアという景色をみることができます。
気候は一年を通して温暖で、雨が少なく、とても過ごしやすいところです。 夏の間は、気温は上がっても30度前後、湿度が低く、日陰に入ると涼しいくらいの日がほとんどでした。
治安もよく、特にUCSD周辺は夜10時頃に帰宅していても女性が一人でランニングしているくらいです。

最後に、研究生活についてですが、現在種々の肝障害、線維化における自然免疫を中心に多くのテーマを頂いています。 朝から晩まで、1週間毎日研究を行う生活に始めはやや戸惑いましたが、渡米して半年がたち、やっと最低限の手技が身につき徐々に実験も進むようになりました。 実験ではCell lineは用いず、マウス肝臓、骨髄からisolateした細胞を用いる点など、多くの新たな経験をさせて頂いています。 ボスやラボメンバーにも恵まれ、厳しいながらも日々充実した毎日を送っています。 自身の研究から得られることはもとより、同年代のラボメンバーとの基礎知識の圧倒的な差、 問題点へのアプローチ方法の違いなど小さなカルチャーショックには枚挙にいとまがありません。 そのせいか、この半年間は本当に自分が初期臨床研修医に戻った感覚でした。
また、研究環境では、クリーンベンチにガスバーナーがないことや、個人に実験台が与えられるせいかRNA専用の実験台がない点など、 細かな違いが多くあり驚かされます。研究には直接関係ありませんが、プリンター用紙、ポストイット(日本での価格を知りませんが)など紙媒体が高価で、 論文などをプリントアウトすることが躊躇われること、ボールペンに不自由すること、敷地内の芝生に野生のリスやうさぎがいること、 駐車場が日本車だらけで日本と景色が変わらないことなど、研究環境以外でも日々新鮮な発見があります。
まだ渡米し半年ですが、多くの貴重な経験をしております。 このような機会を私に与えてくださった山本和秀教授をはじめ、消化器内科の諸先生方に深く感謝しております。
アメリカで学べることは精一杯吸収して、帰国しました際には少しでも皆様に恩返しができるよう精進したいと思います。

手稲渓仁会病院留学体験記

松本 和幸(平成16年 高知大学卒)

北海道札幌市にある手稲渓仁会病院に2012年4月~2014年3月までの2年間、国内留学をさせて頂きました。 この場をお借りしまして山本和秀教授、加藤博也先生をはじめ、留学にあたりご尽力を頂きました方々に御礼申し上げます。

手稲渓仁会病院は初期研修システムと消化器内科(特に胆膵グループ)が有名で、共に全国から医師が集まる施設です。 私が留学する前に手稲渓仁会病院へは、大学で同じ胆膵グループの先輩であります原田亮先生が留学されておられました。

留学してよかった事は1.胆膵診療をメインに従事することができ、集中的に症例の経験ができた。 2.海外も含め、他の施設の方々との交流(つながり)ができた。 3.全国で活動することで、自大学の得意な面や足りない面がわかった。ことです。

私生活では、冬の雪は本当につらかったですが、夏は最高に過ごしやすく、食べ物も魅力的でした(太りました・・)。 観光では、東は世界遺産の知床、西は小樽・積丹半島、南は函館、北は利尻・礼文島と家族で旅行し、プライベートでも充実した留学生活でした。

留学はタイミングにより行くことが難しい場合もあると思いますが、一度は外へ出られてみることをお勧めします。 しんどい事も多いですが、それ以上に得るものがあると感じています。そして、また岡山大学に帰ってきて、消化器内科を盛り上げていきましょう。

手稲渓仁会病院留学記

原田 亮(平成14年 岡山大学卒)

私は2010年4月~2012年3月までの2年間、北海道札幌市にある手稲渓仁会病院に国内留学しました。 手稲渓仁会病院は全国的には初期研修と消化器内科(特に胆膵グループ)が有名な施設で、共に全国から医師が集まる施設です。 私は大学で胆膵グループに所属しており、学位取得後に更なる専門的な研修のため留学しましたが、手稲渓仁会病院では全国のみならず海外からの見学者もあり、 内視鏡の技術向上だけでなく、ライブセミナーへの出演や、他の施設の方々との交流など、様々な機会に恵まれました。 また私生活でも気候や景色、食べ物などでは本州とは異なることが多く、まるで外国に住んでいるような感覚で、 家族も夏は涼しさを満喫しながら世界遺産の知床に旅行や冬は雪祭りやスキーを楽しみ、とても充実した留学生活でした。 現在は平成16卒の松本先生が留学中です。皆さんもこんな生活はいかがですか?

ペンシルバニア留学記

衣笠 秀明(平成17年 愛媛大学卒)

 アメリカのフィラデルフィアにあるペンシルバニア大学消化器内科に留学させていただいておりました。 この場をお借りして山本和秀教授、能祖一裕先生、中川裕先生をはじめ、さまざまな先生方、秘書さん、事務さんのサポートに心より御礼申し上げます。

 留学を振り返ってみますとあっという間だったなというのが正直な感想です。 留学したからといって賢くなるわけでもありませんし、英語が急にぺらぺらしゃべれるようになるわけでもありません。 不整脈が出始め救急搬送もされましたし、下血もしました(笑)。でもやはり私的な意見としては留学は一度は経験したほうがよいと思います。 私の場合は特にボスやラボメンバーや友人達に恵まれたことによって乗り越えられた面がたぶんにあると思いますが、 この留学期間が人生で最も濃密な未知の経験ができた期間だったと自負しております。 留学を薦める理由はなにか?世界を知るということにつきると思います。 はじめて自分の立ち位置を俯瞰してみることができますし、多種多様な考えがあり、本当に様々な人がいることを肌で感じることができました。 研究に関しては質量はもちろんですが、カンファレンスの重要性や時間の使い方から始まり、ものの見方や発想の仕方、 そして何よりも研究に対するストイックな姿勢に圧倒され、多くのことを学ばせていただきました。 また臨床での考え方の違いにもいい意味でショックを受けました。やはり臨床する上では基礎研究の知識は必須と感じましたし、 基礎研究する際には臨床的感覚は重要です。回診の際の研修医への教育の仕方や病室や内視鏡室や病院のシステムの違いも実に興味深いものでした。 文化の違いも否が応でも意識します。人種、宗教というものの根深さを肌で感じ、日本では意識しないことも見えてきます。 そして何よりこれらの経験が今後自分の様々な人生の分岐点での糧になるような気がします。

 海外留学するに当たってはタイミングは重要ですし、さまざまなサポートが必要です。 想像以上に大変なこともありますが、さらにそれを上回るだけのものが得られると思います。多くの仲間もできます。 もしほんの少しでも興味があれば是非トライしてみてください。経験に勝るものはないと思います。

ピッツバーグ留学記

岩室 雅也(平成14年 岡山大学卒)

私は、岡山大学若手研究者インターナショナル・トレーニング・プログラム(ITP)を利用して、2010年10月~2011年3月までの6ヶ月間、ピッツバーグに留学しました。 ITPとは国内の大学院学生(博士課程、修士課程)、ポスドク、助教等の若手研究者が海外で活躍・研鑽する機会の充実強化を目指すもので、 岡山大学では米国のピッツバーグ大学、南フロリダ医科大学、ワシントン大学ベナロヤ研究所、ミシガン大学、カリフォルニア大学のほか、 ドイツのミュンスター大学、フランスのパリ神経科学大学院の7機関と提携しており、人材交流を行っています (http://www.hsc.okayama-u.ac.jp/mdps/itp/top.html)

この制度では、派遣期間が2カ月~1年間までと規定されているため長期留学はできませんが、 派遣前の書類のやりとりやビザ(J-1ビザ:交換訪問者査証)の取得など各種手続きの手伝いをしてくれる点、 派遣費用の補助がある(滞在費用全額をカバーするわけではありませんが…)点がメリットであり、 とりあえず海外留学をしてみたい方や、家族も含めて海外生活に適応できるか試したい方には向いている制度だと思います。

私は妻と5歳の娘とともに渡米し、住居探しや銀行口座の開設、娘の学校探し(アメリカでは5歳の秋から小学校に入学)など、 生活環境を整えるのに大変でしたが、日常生活やラボでのやりとりを通して、英語力は少し向上したかなと自負しています。 またピッツバーグではヒトiPS細胞/ES細胞を用いた実験を行い、肝細胞分化の手技を習得することができ、短いながらも充実した留学生活でした。

小豆島、本州、そして太平洋の向こうへ ~ Michigan大学 留学記 ~

髙橋 索真(平成12年 自治医科大学卒)

内科医として働いていた小豆島に別れを告げ、鹿田キャンパスの門をくぐったのは2009年7月。 その時には、2年後に太平洋をも渡り、異国の地で勉強させて頂くことになるとは夢にも思いませんでした。 まずは このような貴重な機会を与えて下さいました山本和秀教授をはじめ、第一内科の諸先生方、関係各部の皆様方に、心から感謝申し上げます。 また、研修医の時に大変お世話になり、その後の第一内科への入局の道を開いて下さいました、香川県立中央病院の先生方にも、改めて御礼申し上げます。

これまでの医師生活で、海外留学された先生方のお話を聞く機会は幾度となくありましたが、研究歴も浅く、 学位も取得していない自分には夢の世界と思っていました。しかし、縁あって、 日本学術振興会によるInternational Training Program(ITP)制度を利用させて頂くことになり、アメリカ合衆国 Michigan大学に短期留学することになりました。

このITPとは、国内の大学院生・助教などの若手研究者が海外で活躍・研鑽する機会を増やす目的で2005年より行われている制度で、 岡山大学では下記の7大学と提携しています。派遣期間は最長1年に限られているものの、渡航費・滞在費の補助が出るなどのメリットがあり、 海外での研究環境、生活環境に触れ、自分や家族がそれらに適応できるか試すことができるという点では、意義のある制度ではないかと思います。

2010年7月の病棟医終了後、かねてから興味のあった炎症性腸疾患の基礎研究を学ぶために山本教授から第一病理教室の松川昭博教授を御紹介頂き、 遺伝子マウスを用いて炎症性腸疾患モデル・colitic cancerモデルを作成し、各種検討を行っておりました。 その松川教授が以前に留学されていたのがMichigan大学で、ITP制度を利用して同大学に留学してみないかと私にお勧め下さったのが2010年10月のことでした。 私のようなものが留学しても良いものか悩み、山本教授、岡田教授をはじめ諸先生方にも相談致しましたが、 最終的にはせっかくの機会を活かしてみたいとの考えに至りました。必要条件のTOEIC 730点以上(外資系企業で求められる点数に比べると、かなり低いレベルです) もクリアでき、2011年3月に正式に留学が決定しました。

ビザ取得のために英語でメールをやりとりして、招聘状にあたるDS-2019という書類が届いたのが7月。 その後、膨大な書類をオンラインで作成し、大阪の総領事館に出向いて面接を受け、8月上旬にようやくJ-1ビザという留学生用のビザが手元に届きました。 8月30日に中部国際空港を飛び立ち、8月31日よりMichigan大学 病理学 Steven L. Kunkel教授の研究室で、お世話になっています。

Kunkel教授の研究テーマの一つである、H3・H4などのヒストンにおけるエピジェネティクス(acetylation / methylation) が マクロファージのM1・M2分化を誘導する遺伝子発現を制御し、ひいては感染防御・炎症制御に関連しているという仮説をもとに、 マウスより採取したマクロファージをもとにChIP・western blotなどの手技を用いて検討を行っています。 また、日本で作成し、今回持参した炎症性腸疾患の標本に対して免疫染色を行うことでエピジェネティクス変化を観察する検討も、あわせて行っています。

大学のあるMichigan州はアメリカの北東部、五大湖に囲まれた州で、 大学は自動車産業で有名なDetroitから車で1時間のAnn Arbor(アナーバー)という街にあります。 大学とともに発展してきた緑豊かな街で、各国からの留学生が集まり、国際的な雰囲気を醸し出しています。 フットボールの強豪校として知られ、大学対抗の試合当日は朝からお祭り騒ぎで、 街の人口とほぼ同じ10万人がチームカラーの青と黄色のシャツを着てスタジアムに集まります。

非常に寒い地域として知られ、この原稿を書いている10月上旬時点で、楓の葉は赤く色づき、 朝は0℃近くまで冷え込んできています。真冬は雪に閉ざされ、氷点下20℃まで下がる日も珍しくはないそうです。

ラボの皆さんは非常にフレンドリーで、私のたどたどしい英語でも何とか理解して下さり、 研究全般はもちろん、美味しい店に連れて行って下さったり、自宅に招いて下さったりと日々感謝するばかりです。 また、生活の立ち上げには日本各地の大学・企業、中央官庁などから来られている留学生の方々に非常にお世話になりました。 さらには、滋賀県とMichigan州が姉妹協定を結んでいることもあるのか日本に親しみを感じておられる地元の方も多く、 日本語で話しかけられたり大震災のことを心配して下さったりと、幸いホームシックになることなく過ごしております。 2012年1月に帰国の予定です。限られた期間ではありますが、一つでも多くのことを吸収し、今後の医師生活に生かしてまいりたいと思っております。

昭和大学横浜市北部病院留学記

杉原 雄策(平成17年 香川大学卒)

平成23年4月から昭和大学横浜市北部病院消化器センターにて研鑽をつんでおります。 下部消化管内視鏡はもちろんのこと上部および胆膵領域の内視鏡診療にも日々邁進しております。

当センターは最先端の医療を提供することのみならず研究および教育の場としても国際的に開かれています。 日本全国からの内視鏡診療を志したものだけでなくアジア、欧米からも長期短期の留学生がこられております。 ほぼ毎日開かれるカンファレンスや、当センターが主催する横浜live 大腸IIc研究会、 拡大内視鏡研究会など活発に発表参加することで自身の診断および治療技術研鑽に務めることができます。

当センターにておよそ9ヶ月間研鑽を積んだのち、 第3次対がん総合戦略研究事業の一環としての「大腸内視鏡検査による大腸がん検診の有効性評価」と題したstudyの継続のために 6ヶ月間秋田県仙北市立角館総合病院の消化器科長として出向中です。 studyだけでなく実際は内科全般の診療をおこなっており地域に深く根ざした全人的医療の実現を心がけております。

岡山大学第一内科の教授をはじめ先生方には僕自身の内視鏡診療に興味があるとの意向を理解してくださり このような広く見識を深める機会を与えてくださったことに心より感謝しております。

医療関係者の方はこちらからお問い合わせください

Tel:086-235-7219(医局直通)/ Fax:086-225-5991